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クリエイターの軌跡 第1回 「スティーブ・ジョブズ」

クリエイターの軌跡 第1回 「スティーブ・ジョブズ」

ネタがなくなってきたゾ!そうだ!シリーズもので勺を伸ばそう!

というやましい気持ちで生まれた「クリエイターの軌跡」シリーズですが、歴史を動かした人物について調べてみると、もの凄く面白い!

デザイナーや映像監督など、まさにクリエイター!という人間から、新しい事業に挑戦する人もクリエイターと捉えて連載していきたいと思います。

 

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第一弾はクリエイター?という方もいらっしゃるかと思いますが、それまでなかったニーズをクリエイトしたマーケティングの天才、スティーブ・ジョブズ!

ここまで有名だと大体のことが「知ってるよ!」かもしれませんが、一つくらい「知らなかった!」と思って頂けるように執筆していこうという所存でございます。

 

 

実業家?開発者?アーティスト?マーケティングの天才?独裁者?ジョブズは何者?

 

ジョブズは製品に対しては地球上の誰よりも完璧主義だったが、人間としては決して完璧とは言い難い人物であった。

独断的な振る舞いから、時には周囲から煙たがられるも、自分の信念は曲げず、結果アップルを世界最大の企業にまで成長させたジョブズの半生をまとめました。

性格に難ありな部分があるものの、その強いこだわりは普段の生き方や物作りの指標となるものでした。

アップル、NeXT、ピクサー、アップル復帰、プライベートと、様々な面を持っており、記事にしてここまで面白い人物はいるのか?と初回から心配になってしまいます。

 

 

若い頃のジョブズ

 

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1955年に誕生するも、生後すぐに養子にだされ、それはジョブズにとって深いコンプレックスであったとされる。

 

13歳の時にヒューレット・パッカードの創業者ビル・ヒューレットの連絡先を電話帳から調べ、電話をかけ、ヒューレットに気に入られたジョブズはアルバイトをしないかと持ちかけられる。高校生の時にインターシップで働いていた際に共同創業者のウォズニアックと出逢う。

学生時代はマリファナ・LSD・ハシシなどの麻薬に陶酔し、東洋思想やヒンズー教や禅宗など様々な宗教に悟りを求め、大学もすぐに中退(中退後も大学の学長と仲良くなり無償で聴講することを許可され、興味のある授業を聴講)している。

 

その他にも、妊娠させた女性に対し子どもを認知せず、裁判でも女性を売女扱いしたり、アタリ(世界初のビデオゲーム制作会社)で働いている時、こっそりウォズニアックに仕事を手伝ってもらった際の報酬を搾取したり、風呂もはいらず裸足で過ごしたり、となかなかクレイジーである。不潔な容姿や横暴な振る舞いからアタリでは多くのメンバーから「失礼な奴」と思われていたようだ。

 

ジョブズは若い頃の話で「17の時に、こんな名言に出会ったよ。“毎日を人生最後の日のように生きれば、間違いなく最高の人生を送れる”ってね。それ以来33年間、私は毎朝鏡を 覗き込んで、こう自問し続けた。“もし今日死ぬなら、今日やろうとしていることを本当にやるか?”そして、その答えがNoである日が続いたときは、何かを 変えなきゃいけないんだってわかったよ。」と語っている。その後の彼の生き方のひとつの指標になっていたのは間違いない。

 

 

Apple I と アップルコンピュータ設立までのジョブズ

 

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Apple Ⅰは最初期の1976年に作られたマイクロコンピューターで、HPで知り合ったウォズニアックが半分趣味で作り始めたものをジョブズらが事業化し、666.66ドルで販売された。

その後、マイク・マークらとともに1977に起業し、その年に発売したApple Ⅱが爆発的な人気を呼び、1980年にはIPO(株式公開)され、ジョブズは20代半ばにして2億ドルを超える資産を得た。

 

アップルコンピュータという名前は社名選考の場でジョブズが突然言い出したらしく、ウォズニアック曰く「2人とも好きだったビートルズ(レコード会社名がアップル)からインスピレーションを受けたのかも」という説や、ジョブズが当時リンゴダイエットしていたから、など色々な説があるようだ。

ちなみに、その後ビートルズのレコード会社アップルから起訴され「アップル対アップル訴訟」と呼ばれる、30年間ほどをかかる法的係争が行われた。

また、ジョブズの実家ガレージで創業されたという話は有名だが、「ちょっとした作り話で誇張だった」とウォズニアックが否定しているんだとか。

 

 

Lisa、Macintoshの開発からアップル追放までのジョブズ

 

躍進と確執、ジョブズにとっても多難な時期であったのは間違いないが、20歳そこそこの若者がフォーブスの長者番付にのるようになるにはそれ相応の苦難を乗り越えなければならなかったということだろう。

 

 

強いこだわりが災難へ

 

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大人気だったApple Ⅱだったが、次第にIBMにシェアを奪われてゆき、Apple Ⅱを凌ぐ次世代機としてLisaプロジェクトが立ち上がった。

ジョブズはLisaプロジェクトを率いたが、完璧主義ゆえのプロジェクトの遅延や膨大な予算消費や独断的な振る舞いからメンバーからはずされてしまう。

ちなみにプロジェクト名のリサは、彼が長年認知しなかった娘の名前であるが、ジョブズ自身はLocal Integrated Software Architectureの頭文字だと主張している。

 

Apple Ⅱや当時出回っていたコンピュータは一般人にとってはあまりに複雑で敷居が高いと考えた社員たちによってMacintohプロジェクトが始動しており、行き場を失ったジョブズはこのプロジェクトへ突如参画することとなる。

もともと数人のみのプロジェクトだったMacintoshチームには、取締役であるジョブズの働きかけにより予算やメンバーも増えた。

しかし、ここでもジョブズは独断的な振る舞いでチームを疲弊させてしまう。

 

消費者の目に触れない基盤にすら美しさを求める完璧主義は素晴らしいものだとは思うが、理解できない開発者が多いのも納得できる。

Macintoshプロジェクトの立ち上げメンバーであるジェフ・ラスキンとは特に大きな確執が生まれ、その後ラスキンはアップルを去ってしまう。

 

 

アップル追放

 

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とにかくデザインに対するこだわりが強く、技術よりもデザイン先行のために開発者達はいつも悩まされていた。もちろん、そんなこだわりが今のアップルの確固たるブランド力を築いたのは言うまでもないが、ジョブズは闘病中、治療に必要なマスクを「デザインが気に入らない」と拒否したり、酸素モニターのデザインを嫌ったりと、デザインや機能性に対して異常なまでのこだわりを持っていた。

ジョブズと対立しアップルを去ったのはラスキンだけでなく、当時社長を勤めていたマイク・スコットも共同創業者のマークラによって解雇されている。

 

スコットの後任として、ジョブズはペプシの事業担当社長であるジョン・スカリーに目をつけ「このまま一生砂糖水を売りつづけたいか?それとも世界を変えたいか?」というアプローチを続け、1983年にスカリーが社長の座に就く。

しかし、様々な独断的なこだわりや振る舞い、Macintoshの需要予測の誤りによる大量の過剰在庫による初の赤字の責任を負わされ、1985年にアップルでのすべての仕事を剥奪されてしまう。

 

ちなみにプロジェクトから追い出されていたLisaも、当時の日本円で約230万とあまりに高価なことから商業的に失敗した。

その後、ジョブズは所有していたアップル株を1株を除いて(決算報告を受ける為)約650万株すべてを売却し、次のステージへ進む。

 

この時のことをジョブズは「Appleをクビになるっていうのは、私の人生で最高の出来事だった。成功した事業家って言う重圧が、再び駆け出しという気軽さに変わったからね。しがらみから解放され、最も創造的な時間を過ごせたよ。」と語っているが、その後の活躍を見る限り、この言葉は強がりなんかではなく本当にそう感じていたんだと納得させられる。

 

 

NeXT社設立からピクサーCEO就任までのジョブズ

 

アップルから仕事を奪われたジョブズは新しく打ち込めるものを探し始める。

そして、ふたつの道へと歩み始める。

NeXTとピクサーである。

 

 

NeXT

 

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アップルといざこざが起こっている最中に、ジョブズはノーベル化学賞の受賞者ポール・バーグから遺伝子組み換えを学生に教えるためのパーソナルコンピューターの必要性を伝えられる。しかし、実現のためには高等なワークステーションが必要となる。

アップルを追い出されたジョブズはこの教育関係者向けの高等なパーソナルコンピューターを作る為に、NeXT社を設立。

 

アップルからインサーダー情報を利用していると訴えられるも「4300名以上を抱える20億ドル企業がブルージーンズをはいた6人に太刀打ちできないとは想像しにくい」と延べ、裁判になる前に取り下げられた。

 

NeXTは有名なグラフィックデザイナーであるポール・ランドに10万ドルで「いくつか候補を出してほしい」とロゴの依頼を出すも、ランドは「仕事はしますよ。それで気に入らなければ、使わなくても構いません。候補がいくつもほしいなら、ほかを当たればいい。私は、自分の知るかぎり最高の答えをひとつだけ出します。使うかどうかの判断は、そちらでしてください。」と伝え、ロゴの正確な角度(28°)や社名の正確な綴り (NeXT) などを含む100ページのブランドの詳細を示す冊子を作り、当初はイラっとしたジョブズであったが、後にランドについて「彼は私が知るなかで最高にプロフェッショナルな人間だ。プロとして、クライアントとの関係のあり方を徹底的に考え抜いている。」と述べている。

 

NeXTは1989年にようやっと製品の出荷へこぎつけ、製品への評価は非常に高かったものの、生産コストがあまりに高買った上に、部品供給の遅れなどから思うように販売が伸びず、1993年にはハードウェア部門をキヤノンに売却し、NeXTはソフトウェア会社へ転じることとなった。

しかし、製品は開発と運用の容易性から、世界初のウェブサーバーとして用いられるなどの功績を残し、今日のMac OS Xにも継承されている。

 

 

ピクサー

 

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ジョブズはNeXTと並行して、1986年にスターウォーズでおなじみのジョージルーカスが設立したルーカスフィルムのコンピュータ関連部門を買収し「ピクサー」と名付けCEOの座に就く。

コンピュータ部門が買収された経緯はジョージルーカスの離婚により発生した莫大な慰謝料が原因だったとか。

ピクサーの当初の主要商品は、CG制作などに使われるレンダリングソフトであった。

 

ジョブズはピクサーに対してはあまり口出しせず、手っ取り早く利益のあげられるものをメンバーに提案した。

1991年にピクサーはディズニーにCGアニメーション映画製作を売り込み、3本の劇場用作品の契約を結んだ。これが今日わたし達が親しんでいるピクサーへ繋がる。

そして1995年に有名な「トイ・ストーリー」が公開される。それまでジョブズはピクサーに5000万ドル投資しており「こんなに金がかかるとは思っていなかった」と語っているものの、ピクサーの上場に伴ってまたも多額の資産を手に入れる。

 

トイストーリ上映の1週間前にIPOが行われたのはジョブズの戦略であったとされる。

これによって、ディズニーから「契約を見直してピクサーと提携関係を結びたい」という申し出を獲得し、興行収入を折半するという条件までも取り付ける。

しかし、あくまでジョブズは助言を言うだけというポジションを保ち、ピクサーの創造力を尊重し、会議などにはほとんど参加しなかったんだとか。

そして、2006年にピクサーはディズニーに買収され完全子会社となる。ジョブズ自身もディズニーの個人筆頭株主となり、役員に就任することとなる。

 

ピクサーでのジョブズはアップルやNeXTとは違う一面を見ることができるように思う。

試写会のあとにコメントする際も「自分は映画づくりに関しては素人だから、まったく無視してもらっても構わないが・・・・」と、今まで記述してきた内容からは想像できない謙虚さを持って接していたようだ。

憶測でしかないが、これは監督たちへの強い信頼とリスペクトを持っていたことの証明のように感じる。

 

実際、ジョブズは「生まれ変わったらピクサーの映画監督になりたい」という言葉を残しており、芸術への憧れと、自身の才能の限界から、ジョブズの持つ能力で良い作品を後押ししたかったのではないだろうか。そんな芸術への飽くなき憧れはアップル製品のクオリティに如実に現れているのではないだろうか。

ジョブズには関係ないことだが、ピクサーは脚本を12人分業で作っており、「笑い担当は○○」のように、シーンの特性に合わせて脚本家を変え、一本あたり2・3年かけて脚本を練るんだそう。

 

 

アップルに復帰、そしてCEO

 

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1996年、アップルは自社内でのOS開発が暗礁に乗り上げ、次期OSの基本形を外部に求めていた。

そこで、ジョブズはNeXTで開発していたNEXTSTEPを売り込み、マイクロソフトなどの他候補を押しのけ、正式に次期OS基盤技術としてNECTSTEPを採用させることに成功。それを契機に1997年にNeXTはアップルに買収され、ジョブズは買収代金の一部として150万株を譲渡されるものの、半年後にはまたも1株を残して全ての株を売却している。

 

アップル復帰後、ジョブズは経営の実験を奪取すべく、当時のCEOギル・アメリオをCEOから引きずりおろす。だけど何故か要請があったのにも関わらずCEO就任は拒否。

その後、最大のライバルであるマイクロソフトから資金提供を受け、業務提携を発表する。(Mac版Officeがあるのはこのおかげ)

これによってある程度アップル再建を軌道に乗せ、1998年に僕も大好きなiMacの出荷を開始する。

 

ジョブズ復帰以前のアップルは、優秀な技術者が山ほどいるものの、まさに船頭のいない船のようなもので、一人一人がやりたいことを会社を食い物にして行っているようなものだったらしい。

ジョブズが復帰してからは、まさに恐怖政治。エレベーターで偶然一緒になった社員が質問にうまく答えられずその場でクビにされるなど日常茶飯事だったようだ。

そんな恐怖政治の成果か、犬が自由に遊び、鳥まで飛んでいた社内は一年で統制されたそう。

 

2000年にはアメリオを引きずり下ろした際に拒否したはずのCEOに就任し、次の年にはおなじみのMac OS Xがリリースされる。

このあたりまでは日本でもそこそこしか認知されていなかったMacだったが、2001年にiTunesとiPodを発表。ご存知の通り、爆発的なシェアを獲得し、音楽事業はパソコンと並ぶアップルの柱となる。

そして2007年には最大の大躍進であるiPhoneが発売され、アップルの総売上の5割を締める超ヒット商品となった。

 

しかし、やはり復帰後も破天荒さは健在だったようで「スティーブされる」という隠語が生まれるほどだったんだとか。ちなみに意味は「解雇される」と同義。

ただ、そんな破天荒さは仕事に対する強い愛情によるもので、あくなく探究心がもたらすどうしようもない副産物だったのだろう。彼はいつだって良いものを作ることだけに注力しとらわれ、そしてそんな生き様や彼が生んだ「美」は人を引き寄せつづけた。

 

 

闘病と死去

 

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2003年に膵臓癌と診断されるも、家族や周囲の反対を押し切り、東洋文化を尊重していたジョブズは医術を頑に拒否し様々な民間療法などで治療を図るも、しばらく後の検査で癌が肥大化していることから摘出手術を受ける。後に、絶対菜食やハリ治療などの民間療法に頼りきったことを後悔していると伝えている。

2008年に転移が判明し、2010年に体調が悪化、2011年に本格的に再発し、CEOを辞任。

この時、アップルは時価総額において世界最大の企業に成長していた。

 

辞任から数ヶ月後の2011年10月5日に56年の人生の幕を閉じた。

ジョブズの死に対し、ビルゲイツやオバマ大統領などの著名人からも死を惜しむ声が相次いた。

 

 

日本とジョブズ

 

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ジョブズは大の日本好き(好きな面だけではなかったようだが)で知られ、特に若い頃から禅に傾倒し、結婚式にも日本の僧侶を招待している。

闘病中の2010年には家族で京都に旅行へ出かけている。この帰国時に機内に手裏剣を持ち込もうとしてトラブルがあったとかなかったとか。

ソニーのHDVカメラは優秀だと発言しつつ、ウォークマンを「iPod」に劣るなどと批判もしているが、ソニー共同創業者の盛田氏が死去した際に追悼の意を示し、数々のソニー商品はアップルに大きな影響を与えたと賞賛している。

また、ジョブズのトレードマークである黒のタートルネックとリーバイスのジーンズ、ニューバランスのスニーカーは、1980年代に盛田氏にソニー工場を案内された際に、三宅一生のデザインした制服に感銘を受けたのが契機となっており、黒のタートルネックは三宅一生ブランドのものを着続けた。

それまで絶対菜食だったものの、膵臓癌発症後は動物性タンパク質摂取のために魚介類を取り入れるようになり、日本食、特に蕎麦や寿司を好み、アップルの社内食堂のメニューにも自身の考案した「刺身そば」を導入している。

その他にも、福井県のお寺で出家しようとして止められた経験や、シリコンバレーの日本食屋「桂月」の常連だったなどのエピソードがある。

桂月には死去の数ヶ月前にも訪れており、大好きな寿司を頼むも手を付けられず、代わりに頼んだ鍋焼きうどんも、必死に食べようとしながらも結局食べられなかった。桂月の調理師はジョブズが死去したあと、生前のはからいでアップルの社員食堂で腕を振るうようになった。

 

 

最後に

書くのに異常なほどの時間がかかってしまいました。

「長いよ!」と思われた方もいらっしゃる方も多いかと思いますが、僕が1番時間を使っているのです。

何も言わずに許してほしい。そう思っております。

 

アップルを立ち上げ、NeXTでOSの基盤技術を築き、ピクサーを一流のムービーカンパニーに育て、アップルを再建し、最大の企業へ導いた最高の指導者スティーブ・ジョブズ。彼がいなければ恐らく今の僕らの仕事にも大きな違いがあったのは間違いありません。

とにかくジョブズを一言で表すならば「こだわりの塊」。ナンバープレートをつけたくないから、装着猶予の6ヶ月ごとに新車を買い替えるなど、こだわりエピソードには事欠きません。

 

では、またネタがなくなり次第いろいろなIT著名人をまとめてみたいと思いますので、その際は是非読んでみてくださいー!

 
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参考・画像出典:http://successstory.com/people/steve-jobs

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そうたん

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僕は貝澤です。 コンビニのアルバイトやDEEPな夜のデザイナーを経てwebデザイナーになりました。 好きなことは競馬と麻雀とスロットとパチンコと酒とタバコとジャム作りです。

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