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【社員インタビュー】多種多様な経歴の持ち主、クリエイティブチーム長澤公平さん

こんにちは、monomode広報のノムラです! 最近、採用活動が活発なmonomodeですが、面接に来ていただいた方の中には、この「DAYs」を見ていますと言ってくださる方もいて、日々記事を書いているものとしてハチャメチャに嬉しいです…。報告を受けたとき、社長の前でなければ小躍りしているところでした。

 

そんな訳で益々気合の入っている「DAYs」ですが、今回は22年7月に入社された長澤公平さんのインタビューをお届けいたします!社長の五十嵐さんも思わず「長澤さんの経歴、面白いよ」と推奨したくなるレベルの経歴の持ち主。是非最後までご覧ください!

自己紹介からお仕事のお話

 

それでは簡単に自己紹介をお願いいたします。

名前は長澤公平といいます。クリエイティブ局のディレクターチームのディレクターです。
出身地は旭川で、親の転勤で苫小牧と札幌に住んで、その後、東京や横浜に自身の仕事で移り住んで今は札幌近郊に住んでいます。

色々住まれてるところが転々としているんですね、てっきり、東京とか本州の方なのかと思っていました。

生まれは旭川で20代前半の時に都内に移り住んでいて、そこからは行ったり来たり、というような感じですね。

今、monomodeではディレクターをやられてるということで、どんな内容のお仕事をされているのかお伺いしたいです。

基本的にはクリエイティブの制作物の進行管理が主な仕事になりますね。あとは、お客様への提案ですとか、お見積りといったところも案件によっては担当しています。

これまでこういった業務のお仕事をされてきた経験はあるんですか?

そうですね。今振り返ってみると「ずっとこういう仕事をしていたな」という感じなんですよ。

そうなんですか?

そうですね。思い返すと、今までやってきた仕事に共通点が多くて、レンタカー店の店長をやっていたこともあったのですが、営業をやったり、直接お客様とお話しするようなお付き合いが深い仕事ではあったので、そういうコミュニケーションが大切なところが意外と似ていたり、その他もずっとディレクター的な仕事をやってきたなという感じなんですよね。

そうなんですね、でも確かに実際にお客様とお話する、というのは今もやられている部分ではありますよね。

そうですね。営業のような、お客様とのお付き合いの中で関係性を保ちながら案件を進行していくみたいなディレクター業務に近い形の仕事をこれまでもずっとやっていましたね。
それ以外はクリエイティブ寄りのディレクション業務をずっとやってきてる感じですね。

なるほど、それじゃあ今までの経験からはそんなにひどく離れた感じはないという事なんですかね?

そうですね。

始まりから意外性抜群

 

実は五十嵐さんから、長澤さんの経歴が面白いと事前にお伺いしていたんですが、これまでの経歴などを簡単にお伺いできればと思っているんですが。

まず、高校の時に作詞作曲を始めて…。

え!?

音楽は小学生の途中までピアノを習っていて、その後ピアノを辞めてギターをやり始めて、曲を作ったりしてました。その間に、高校の友達から「ライブをやるからサポートしてよ」という感じでやっているうちに、レコード会社の人と出会ったりとかして、その中で話が進んでいってソロでメジャーデビューする事になりました。

そうなんですね!??

それが大体20代前半くらいの時で、そこからFMラジオでレギュラー番組とかもやっていたんですよね。

え゛ーーーーっ(ずっと混乱している)。

音楽活動はソロユニットっていう感じでやっていたんですよね。作詞作曲して、曲のアレンジしてみたいな感じでやっていて、その前にはバンドを組んでやっていたので、1つのものを作るときに、ギターがいて、ピアノがいて、各メンバーに自分が作った音源を渡して、あぁしてこうしてっていつまでにレコーディングしてっていうところからディレクションは始まっていた感じがします。

確かにそうですよね

そういった形で、計画立ててやりながらそのままミュージシャンとして仕事をしていたんですが、音楽理論とかよくわからないままいったので「ちゃんと音楽の勉強をし直さなきゃいけないな」と思って、音楽の仕事を休んでJAZZなどの勉強をし始めました。アルバイトをしながら音楽の勉強をしていたんですが、結局「ずっと音楽だけで食べていくというのは違うのかな」という気持ちになりました。

お仕事としてではなくてという。

そうです。若かったというのもありますけど、簡単に言えば自分が音楽というものが好きだからそこは好きに突き詰めたいなと思って、それで、当時アルバイトをしていたレンタカー会社に就職しました。

そこで先ほどお話していたレンタカーの話に繋がるんですね。

そうなんですよ。

大きなターニングポイントを迎える

 

レンタカー会社の店舗で働いてるうちにすごい面白い人と出会ったんです。それは、本社マーケティング部の部長で、元々はそのレンタカー会社の親会社の自動車メーカーにいた方だったんですが、すごい話が面白くて、頭の回転も早くて…。その方と一緒に仕事をしていたらすごく楽しかったんですよ。その影響もあり、会社に「マーケティング部いきたいです」と伝えたら、マーケティング部に配属してもらえたんです。

それはすごいですね。

そこでレンタカー会社のホームページ運営や予約ページ、WEB会員のお客様サポートをやったんですよね。レンタカー会社の企業サイトのディレクター、今でいえばクライアント側のディレクター的な仕事をやっていました。そこでは広告代理店と一緒に仕事をする機会があって、クリエイティブのデザインもすごく高いクオリティーのものがくるので、とにかく面白くて「こんな仕事があるんだ!」という気持ちになり、そのうち「こういう仕事をずっとやっていきたいな」という風に考えるようになったんです。

なるほど。

ただ、その矢先に僕がまた店に戻るということになって、北海道の店舗で店長が辞めてしまうので、そこに入って欲しいということで

それはちょっと辛いですね、お仕事が楽しくなっていた矢先だったのに。

そうなんですよ、店舗に戻ったんですが「WEB制作を仕事にしたい」と強く思いはじめて、丁度その時インターネットが過渡期で、インターネットが当たり前になってきたんですよね、なのでこれからはWEBの影響力が強くなっていくだろうと思って、そこでデザインの学校に行く事にしました。

え! そこから行ったんですね!?

そうなんですよね、レンタカーの仕事をしながら、デザインの基礎を学ぶのに通っていたんですよね。コード書いたり、フォトショップやイラストレーター使ってっていうことではなくて本当にデザインの基礎だけ学んで、その後、進路をどうしようかとWEB制作をやっている知人に相談した時に、経歴とかも踏まえて「ディレクターがいいんじゃないか」ってなったんですが、その時すぐになんの実績もない中でディレクターになるっていうのは難しくて「じゃあ自分には何ができるんだ」という時に、これまで自分が歌詞などを書いていて「文章を書くことは比較的得意かな」と思ったこともあり、ライターならできるかもしれないと思い立ちました。

これまでの経歴を糧にライターへ

 

その時に自分がよく見てたニュースメディアサイトに応募してみたんですよね。そしたら通って、ライターとして記事を書き始めました。そこで体験取材をしたり、WEBの記事とか、WEBと雑誌の連動記事を書いたり、ゲストコメンテーターとしてネット番組に出たり、本当に色々な仕事ができて面白かったですね。約4年間で1500本くらい記事を書いたんですが、当時年間で3分の1は東京、3分の2は北海道みたいな感じでずっと行ったり来たりしていたんですよ。

主軸としては北海道にいたけど、時々東京で仕事されていたんですね。

そうなんですよね、北海道でしか書けない記事も書いていて、北海道新幹線が開通した時に北海道から鹿児島まで行ってみる、みたいな記事とかを書いていましたね。そういった形でいろんな記事を書いていましたが、段々ネタがなくなってきて、後半はライター業の他に工場と農家のバイトをしていました。

それはどうしてアルバイトを?

今後、自身をライターとしてさらに成長をさせていくとなったら、もう東京にしっかり移り住んで編集部に入るしかないな、という感じになってきたんですよね。でも、当時家族と北海道に住んでいて、一緒に東京に行くかというと子供も生まれたばかりでそうも行かなかったんですよ。なのでライターの他にアルバイトで収入を得ながら次の仕事を探そう、ということにしました。

そのあと、アルバイトをしながら記事を書いて次の仕事を探していく中で、自社サイトで音楽ソフトの販売などを行っている北海道の音楽メディア総合会社に入ることになりました。

その流れで入ることあります!?

なんでかっていうと、元々WEB制作をやりたくてライターになって、ライターとして自分でできることをやってきて、そこでWEBの知識もリテラシーも学んだし「ここでWEB制作にチャレンジしよう!」と決めて、その時にこの音楽メディア総合会社のマーケティング部門の応募があったんです。それで、音楽ソフトを販売するサイトのマーケティング部門に応募したんですが、マーケティングではなく「サウンド関連の方でどうですか」とお声がけをいただきました。

ミュージシャンの経験がここで活きてきましたね

そうなんですよ、なのでWEB制作と音楽の経験を合体させたような形で活かせればと思って入社を決めて、入ってからはゲームプロジェクトのサウンドディレクターなどを担当しました。ゲームプロジェクトの仕事もやりがいはあったのですが、そのあと、やはりWEBに特化した仕事をしたいという気持ちが残っていて、monomodeを受けました。

いやすごいですよね。一旦就職して生活も安定していた訳じゃないですか。でもそこではなく「WEBのお仕事がしたい」という強い気持ちがあった訳ですよね。

そうですね。やっぱりWEBの仕事がやりたいな、と思って転職することに決めましたね。

今にも生かされている様々な経験

 

いや、本当に改めてすごい経歴なんですけど、その時にやっている仕事ではなく「やっぱり自分はこうなりたいんだ」っていう強い気持ちっていうのは、何で培われるんですかね?

いやーー、それはもう性格じゃないですかね。最初は生活の為にやるんですけどクリエイティブな仕事がすごく好きで、それをずっとやりたいと思い続けたってところがあると思うんですよね。実際にレンタカー会社の仕事をしている時も、楽曲提供とかはしていたんですよ。

そうなんですね! じゃあ切り離したようで実際にはそうではなかったってことなんですね。

そうなんです。TV用のBGMを作ったり、シンガーへの楽曲提供などもしていたんです。
だからやっぱりクリエイティブなことが好きで、音楽だけで食べていくのは難しいなって思っていた中で、WEBの仕事を面白いと感じて「これで行こう」って思えたことが大きかったんじゃないですかね。

本当に無駄のない人生って感じですね。

いや結構遠回りしましたけどね(笑)。

いやいや、でも振り返ってみると無駄じゃなかったなって思うことって結構ありますよね。

それこそ僕、さっきも少しお話ししたんですが、農家でアルバイトをしていたんですが、その農家の社長が本格的に家具を作ったりしていたんですよ。木工場みたいのが納屋にあって、で僕自身も実は自分用のデスクを何台も作っていたんですよ音楽制作用の。

うんうん(うん???)。

僕自身も作りながら「これ売ったら買う人いると思うんだけどな」って思いながら何台も試作していたんですよ。音楽制作用のデスクって実際に購入するとなると金額が高いものばかりなので、これで安くて、いいものがあればいいのにって思いながら過ごしていたんですが、ある日そこの社長にその話をしたら「1回製品として作ってやるから図面持っておいで」って言ってくれて、図面書いて持っていったんですよ、そしたらどうやったら商品として出せるのかっていうのを踏まえながら作り方を教えてくれて、作ったものをECサイトで売ったんですよね。そしたら次第に注文が入るようになって、今でも毎月注文をいただいています。

えー!! すごい。

だからこれも当時アルバイト先の社長に言わなかったらこうなってはいなかったので、それにこういうことを経験したからこそ、ECサイトに関係した仕事をやっぱりやりたいなっていう思いもまたありましたね。

すごい。本当に経験だけじゃなく、それを切り開いていくための人間関係とかコミュニケーションが本当にすごいな、という感じですよね。だからこそ、こうやってやりたいことプラスその中で活躍できた、というのが本当にすごいですよね。

いや本当にありがたいですよね。

では最後になってしまうんですが、今後monomodeでどんな活躍をしていきたいか、など意気込みはありますか?

ディレクターとしてディレクションをよりスムーズに進行できるようになっていきたいと思っていますし、まだデザインとかコーディングといった知識が乏しいところもあるので
そこをもっと磨いて、よりスムーズにお客様だけでなくチームにとっても円滑になるようにできたらいいな、と思っています。

長澤さんのコミュニケーション能力があれば怖いもの無しな気がしますけどね。

いやいや全然です(笑)。

めちゃくちゃ頼もしいです。今後とも何卒よろしくお願いします!

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想像以上の経歴の数々に、ずっと驚きっぱなしでした。様々なことにアンテナを張っていてすごいなぁと思っていましたがこの経歴なら納得です…。その柔軟性やコミュニケーション能力が素晴らしいです!

「DAYs」では引き続きナチュラルな日々や、社員やチーム、会社の取り組みなどについて綴って参ります!次回の更新をお楽しみに!

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